きみのひとでなし

なみだのはなびらふりそそぐ

10年前に書いたもののお蔵出し。


【 なみだのはなびらふりそそぐ 】

 櫻子さんが宵の口の散歩に出るというので、僕も一緒について出た。
 夜風は身体に障りますよと忠告するのに、もう決めてしまったといって耳も貸さない。ほうっておくと、水玉模様が刷り込まれた黒いシフォンのワンピースに裸足、なんて薄着で飛び出していってしまうので、僕は、彼女の身体をすっぽりと包むファーのついた黒いストールと、日が沈んだばかりの空に浮かぶ繊月のように細いヒールの銀色の靴を用意しなければならない。
 ねぇ、せめて、靴を片方、落としていったりしないでくださいね。これはおとぎ話じゃないし、僕はあなたの王子様じゃありませんから。
 そう告げると、眉の下でまっすぐに切り揃えられた黒髪を揺らして振り返り、こわばった瞳でこう答えた。

「わかってるわよ」

 そして彼女は、つんと澄まして左斜め上を見上げ、僕を足元にひざまずかせて、靴を履く手伝いをさせる。右足首にはめた銀のアンクレットに光が乱反射してまぶしい。左足の義足ではまだじょうずに歩けない。それなのに、ヒールの細い靴しか履こうとしない彼女は、あまり自分を大事にしていないみたいだ。

「自分って、大事にしなくちゃいけないもの? 人は存在するだけで価値があるとか、自分の中には才能のような貴重ななにか埋まっていて、それを掘り出すことで唯一無二の個性的な存在になれるとか、そんな言い草、わたしは信じない。人の価値は、対峙する相手との関係性で決まるものよ。あの人にとってはクズ同然でも、あの子にとっては神に等しい。そういうものでしょ。だから、もしもわたしが自分を大事にしていないように見えるなら、それは、今、わたしのそばにいるのが、あなただからよ」

 金箔を散らしたゼリーのような空の下を、ストールを纏った櫻子さんは、ヒョコヒョコとひよこみたいに歩く。僕はその三歩後ろを歩きながら、対峙する相手が僕でなければ、彼女はもっと自分を大事に扱うのだろうかと考える。
 相手が僕だから投げやりになっている、と櫻子さんは云いたいのだろうか。
 それなら僕は、誰になれば良かったのだろう。

 未だ明るい空の端っこから春の嵐が吹き抜けてきて、櫻子さんをなぎ倒そうとした。
 ゆらり。
 ぐらつく足元に揺れた彼女を、僕は慌てて抱きとめる。けれど、掴んだ腕が痛いといって振り払われた。僕はまだ、人に接するときの力加減というものが、よくわからない。

「早く慣れてもらわなくちゃ困るわ。これからずっと、あなたはわたしのそばにいるんだから」

 さして関心のなさそうな口調で云う。
 生暖かい風が通り抜けて、腰まである長い黒髪を吹き上げる。彼女は不快そうに眉をひそめると、白い指で僕の胸元を掴んで引き寄せ、僕の腕の中に、その身をすっかり収めてしまった。僕を風上に立たせて、春の嵐から逃れようとしているらしい。
 僕はおとなしく状況に従う。
 先刻の彼女からのクレームを思い出して、できるかぎりそっと、線の細い背中に手を添える。
 びゅうびゅうと叫びながら耳元を通り過ぎる風が、宵闇に点り始めた街のあかりを空に散らしてゆく。そっと唇を開く彼女のことばすら、風に消えてしまいそうだ。

「あなたのこと、わたしは男性として扱っているけれど、ほんとうはどっちなの? 前はどっちだったの?」

「僕に性別はありませんよ。構造上、どちらでも構いませんから。以前は、女性だったことも、男性だったこともあるでしょうけれど、覚えていません、昔のことは。忘れましたから」

 思い出すのもおぞましい記憶なので。
 無理やり、忘れましたから。

 どのくらいそうしていただろう。吹きすさぶ風が途切れたほんの一瞬に、彼女はひとこと、そうね、と云った。

「帰りましょう。ヒールが高くて足が痛いわ」

「はい。だけど、櫻子さん、なんだってそんな、踵の細い靴ばかり履きたがるんです? 櫻子さんには危険だし、歩きづらいだろうに」

「私には細い靴が似合うって、蘭がプレゼントしてくれたからよ」

「僕が?」

 何の気なく聞き返すと、とたんに彼女の頬が固まった。眉間に深く皺を刻んで、両の瞳を閉じる。
 まただ、と僕は思った。
 のたうつような苦痛に耐えるときの表情。
 僕は昨日の夜の彼女の姿を思い出していた。
 痛くしてと彼女は云った。
 やさしくされると、罪悪感で死にたくなるの。だから痛くして、お願い。

「そうね、今はあなたが、蘭だったわね」

 それは絞りがねから吐き出された生クリームに似て、つめたく静かな場所で保存しておかないと、溶けてなくなってしまいそうな声だった。
 彼女の瞳からこぼれ落ちた涙を、春の嵐が、宵闇の中に散らしていった。
 僕はどうすることもできず、風の中でただ立ち尽くす。むしりとられるように風に散らされた桜の花びらが、僕らの周りを埋め尽くしてゆく。

「あなたは、昔のことは忘れたといったわね。忘れることができるから、人は生きていけるのよね。だけど私はどうしても、忘れたくなかったの。あなたを忘れたくなかったのよ、蘭」

 僕に向かって話しかけているけれど、彼女は僕を見てやしない。春の宵闇と桜の嵐の狭間から僕らを縛り付けるのは、蘭という名の幽霊だった。
 僕はいつか、彼女に問うた事柄を思い出す。
 ねぇ、櫻子さん、その左足はどうしたんですか。
 彼女の答えはこうだった。
 蘭と一緒に死んだのよ。列車事故のあった、あの夜に。投げ出された線路の上、血まみれの視界から見上げた満開の桜は、あまりにも、綺麗だったわ。

 激しい風にあおられ、黒いストールが旗のようにばたばたとなびく。
 身体を抱きしめるようにしてストールを押さえた櫻子さんの、骨のもろそうな両の腕に、無数の切り刻んだような跡が浮かんだ。
 彼女は自らを罰するために僕をそばにおいているのだという。
 姿かたちのなくなった彼と彼女を繋ぐものは、左足の義足と、胸の奥に巣食った傷だけだ。傷が癒えるとき、ふたりの繋がりは消える。だから彼女は、毎夜、酷いやり方で、僕に傷口を開かせるのだ。忘れないために。

「見て。今夜も桜がとても綺麗。『鳥籠』の天辺、立ち入り禁止区域には、巨大な桜のそびえる空中庭園があるって聞いたわ。この花びらは、その樹のかけらなのかもしれないわね」

 桜と同じ色の涙を風に舞わせながら、彼女は云う。
 僕には、むせぶようにふりそそぐ花びらすべてが、櫻子さんの涙に見えた。

 僕は彼女を楽にしてあげられたら良いなぁと思う。苦痛に耐える歪んだ姿でなく、静かに微笑むやさしい仕草を見せてくれたらなぁと思う。
 けれど、僕はあらゆる機能を制限されて、「そのこと」をじょうずにやってのけるためだけに作られた歯車式機械人形(パペット)なので、彼女のためにできることといえば、「それ」しかないのだった。
 僕は彼女を傷つけるために取り寄せられた道具だというのに、「それ」によって僕は、彼女を救えないかと考えている。
 とんだ勘違い。そもそも気が狂っている。本気で、誰かを救おうだなんて。

 歩き出した彼女の三歩後ろを、僕は相変わらずついて歩く。
 云わなければならないことがいえない。云わなくて良いことなら、いくらでも口をついて出てくるのに。
 やりたいことと、できることは、どうして常に一致しないのだろう。
 僕はきっと、今夜も彼女を傷つける。今にももろく崩れそうなその白い身体に、涙の花びらを降り注ぎながら。


これは、昔ちょっとだけ書いていた、「螺旋都市人形戯曲(スクリュー・シティ・パペット・ショウ)」というお話のスピンオフみたいな感じで書いたものだったはずです。
文中に「歯車式機械人形(パペット)」という言葉が出てくるので、たぶん、そう……。

背後に見える物語がせつない。
ただ、「櫻子さん」と「蘭」の外見&内面の設定をあんまり作り込まないまま書いちゃってるのが丸見えなので、情景のせつなさに比べて、そのへんがゆるゆるでアンバランスだなって思います……。笑

螺旋都市は、その名の通り、螺旋階段のように空に向かって登っていく構造の大きな都市で、その中央を天まで突き抜けている塔が「鳥籠」です。
鳥籠は、都市の中枢を担っている巨大なスーパーコンピューターみたいなものなんですが、何しろ立入禁止の謎の施設なので、都市の住人たちも、「鳥籠」が本当は何なのか、誰も知らない。

螺旋都市を登りきったところ、つまり鳥籠の天辺には空中庭園がある……というのは、螺旋都市に昔からある都市伝説みたいなもので、螺旋都市の上層部は立入禁止区域として厳重に封鎖されているので、誰もほんとうのところを知らない。

螺旋都市人形戯曲というお話は、昔書いていたものとはだいぶ趣向の違う物語としてまた書きたいなと思って、プロット書き溜めたりはしています。
ほんとうはラノベっぽいテイストが似合うと思うんだけれども、わたしが書く文章はなんか変なので、ちっともラノベにならない……。

なので、「ラノベっぽい」とか、そういう「っぽい」っていうカテゴライズはもう無視して、自分に書けるものを、精一杯書くしかないかなぁとも思います。

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